越前塚古墳について

弊社には約900㎡にわたる古墳があります。

2千年以上も前から、この地に生きてきた人々がいて、そこから脈々と受け継がれた歴史の中で、今我々が生きています。

そんな先人たちへの慰めと感謝の気持ちを込めて、毎年秋には慰霊祭を執り行っています。

越前塚遺跡について

越前塚遺跡は、長浜市加納町に広がる弥生時代(紀元前3世紀~3世紀)から古墳時代(3世紀~4世紀)にかけての大墓地群です。
昭和56年~57年(1981~82)と昭和62年(1987)の2回にわたって、長浜市教育委員会により調査が行われてきました。
その結果、この地域で、弥生中期初頭から古墳時代前期にかけての方形・円形周溝墓70基以上、さらに、古墳時代中期以降の前方後円墳・方墳・円境等が5基以上の発見がありました。
長浜市では「古墳と判明したものについては現状のまま保存すること」と定められており、この越前塚古墳はその中心部を埋め戻し、そのまま保存することとなったものです。
なお、昭和63年3月発行の長浜市教育委員会の「越前塚遺跡発掘調査報告書」では、越前塚遺跡について次のような説明がされています。
『周溝墓は、西日本においては、既に弥生時代前期からつくられはじめており、以後一般庶民の土壌墓を除いて古墳時代前期頃までの墓制の主流として、特に中期以降盛行したものです。

長浜市では、弥高町の塚町遺跡とこの越前塚で発見された中期初頭の方形周溝墓が初現です。
ほぼ弥生時代を通じて方形の周溝墓がほとんどで、古墳時代になると円形のものがつくられる傾向にあります。
周溝墓が土壌墓と区別される点は、単に形だけの、あるいは周囲に溝を巡らし土を高く盛り上げるという手間上の問題だけでなく、
溝を巡らすことによって現世の世界と死者の世界を峻別することにあったと考えられる点にあります。
現代社会においてみられる「ハレ」(神聖)と「ケ」(日常)の空間を分離する結界の考え方に似るところがあります。

従って、ここに死者(その魂)に対して一般民衆とは違った特別に神聖視する観念が生じたとみることができるのです。
このことから、この時点より弥生時代の集落の中にある程度の階層が生じたと理解することができるものであります。

越前塚遺跡の場合、周溝墓はほぼ三時期に分けてつくられ、それぞれの時代の特徴をみることができます。
また、周溝内で細片として発見される土器類は、壺、甕かめ、高坏たかつき、器台などの生活用器種のほとんどにわたっています。

墓域内で「野辺の送り」が行われた後に、破壊されて周溝内に破棄されたものと考えることができます』
(長浜市教育委員会の遺跡発掘調査報告書より)

 

 

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